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増田町の商業活動の中心地である中七日町通りは、明治前期に建てられた商家の景観を今に留め、その多くは豪華な内蔵を有しております。この通りは平成25年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
朝市の歴史は古く、佐竹藩から許可されたのは、寛永二十年(1643年)と言われております。毎月2・5・9のつく日に開催され、近くの農家や商店が出店し、買い物客で賑わいます。
毎年十月に開催されている蔵の日は増田町の歴史的文化財群を特別公開する日です。増田の朝市を延長開催するほか、蔵ライブや押絵展、和紙展、パッチワーク展、などの他に裏千家同好会によるお茶席などイベントが盛りだくさんです。
増田一の地主と言われた「旧佐藤 與五兵衛家」を改装した店舗で、「干し餅」をはじめとするお土産物を取り扱っております。地元産の食材を使った飲食コーナーもあります。
戦前まで酒造業を営んでいた石田理吉家の家屋は、県内でも珍しい木造三階建ての建築物として、横手市の指定文化財に登録されております。
以前は雑貨店と缶詰加工業を営んでいましたが、近年ではソフトクリーム販売をメインとする、憩いの場として町民に親しまれているお店です。店長の趣味であるフィギュアが所狭しと展示されております。
佐藤昆布店が増田で営業を始めたのは戦後の事と言われております。毎年受験シーズンになると販売される「合格祈願こんぶ」が大人気の商品。店内にはなぜか、ペコちゃんが大量に展示されております。
正式名称は興文館東海林書店で、増田城主・土肥家の家老を勤めていた当主が明治十八年に書店を開業したのが始まり。国登録有形文化財に登録されております。
かつて金物の小売業を営んでいた石田家より、横手市へ寄贈された「旧石平金物店」を増田地域の伝統的な建造物を紹介する施設として再整備した建物で、増田町の観光拠点となっております。
お店の奥には明治十九年(1930年)に造られた内蔵があります。こちらの蔵は正面や開口部が黒漆喰、他が白漆喰となっており、増田地域の典型的な内蔵です。
増田の商家建築の家屋配置である、店舗入口から裏門まで一直線に伸びる「トオリ」が特徴です。また、一階の天井のが高く、北側となる座敷への採光が取れるように工夫された構造も特徴です。
旧勇駒酒造の建物を利用し、羽場こうじ店が営業しているお店です。味噌キャラメルのアイスと甘酒が絶品です。お酒の仕込みに使われていた内蔵は、現在イベントスペースとして利用されております。
佐藤又六家は代々商家として栄え、増田銀行(現北都銀行)設立発起人にもなった名家です。増田地区最古の店蔵が現役で使用されており、主屋の中にその店蔵が組み込まれているところが最大の特徴です。
佐藤家は元々反物を商う太物商でしたが、昭和初期に医院を開業し、昭和五十八年まで半世紀に渡り地域医療に貢献しました。明治時代後期に建てられた座敷蔵は補修され、新築された家屋の中で現在も活用されています。
江戸時代から平成まで続いた増田で最も歴史のある薬舗です。夏でも涼しい石造りの地下室と、敷地内を通る分水嶺が特徴。増田に二軒存在する切妻造り平入の店蔵を有しております。
国登録有形文化財にも指定されている家屋で、柱や鴨居に残る痕跡から明治時代の呉服商の形態を想像することのできる貴重な店舗だそうです。二階は天井が湾曲した舟底状天井の座敷になっております。
増田町唯一の醸造元「日の丸醸造」。主要銘柄「まんさくの花」は全国新酒鑑評会で金賞を受賞するなど、評価も高いです。絢爛な文庫蔵をはじめとする家屋全体が、国登録有形文化財に指定されています。
江戸時代には増の井の醸造元で、佐藤三十郎が居住した後は、五十集商(魚の仲買)を行っていたそうです。秋田の伝統的な町家形式の座敷蔵は明治十一年に、主屋は明治二十年に造られました。
国登録有形文化財として指定されている旧栄助商店は、炭や荒物(日用品)を販売した商家でした。現在は「升川商店」が所有し、和装雑貨店を経営しております。
大型車にも対応する駐車場を併設した、観光案内所「ほたる」は、増田町の新たな観光拠点として造られました。見学可能な座敷蔵が隣接し、施設内には多目的トイレやおむつ交換台もあり、コインロッカーは無料でご利用いただけます。
バスの時間待ちや、地域の人々の休憩所として親しまれているコミュニティラウンジです。商家の街並みに合わせた建物には二階もあり、こちらからの眺めも良いです。
ラーメンや中華料理をメインとしたレストランですが、横手やきそばのお店としても有名です。冬場に販売が始まる大判焼きも美味しいです。
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漆蔵資料館
稲庭うどんで有名な佐藤養助の歴史を伝える資料が展示されています。国登録有形文化財に登録されている漆塗りの「内蔵」は一見の価値ありです。