平成29年に東京駅や国立博物館と同じ、国の重要文化財に指定された「佐藤又六家」。重伝建地区のほぼ中央に位置し、明治初期までに建てられた内蔵が現存する、最古の建物だそうです。
寺社仏閣が認定されることの多い「国指定重要文化財」に一般の方の住居が指定されることは稀で、その重要性と歴史的価値が伺えます。
驚いたことに、かつてカメラ店として営業されていた店先から、生活の場である主屋部分までが、既に大きな蔵造りとなっており、入り口には土蔵らしい立派な大戸も設えられています。この珍しい建築様式は、明治初期に八代目の又六氏が、増田村(当時)から火災時の火除けの役割を要請されたためだそうです。
店蔵の様子は二階欄干奥に蔵の漆喰が見える事からも伺えます。こちらの蔵の正面には「火止め唐草」の鏝絵(漆喰のレリーフ)も施され、当時の人々の防火への願いが伺えます。
間口8・7メートル、奥行き111メートルの長大な敷地を、通り土間沿いに仏間、客間、居間、台所が並び、最奥には文庫蔵が鎮座します。家屋には江戸時代に組まれた丸太の梁も垣間見え、歴史の重みを感じる事ができます。
さらに皇太子殿下もご見学なされた文庫蔵には、十一代当主が幼少時代に遊んだ輸入物の木馬や、時代を感じさせる調度品が並び、古き良き時代に思いを馳せる事ができます。
仏間とオエ(客間)の間の柱は、大人数の冠婚葬祭にも対応できるよう、取り外し可能となっており、四十畳のオープンスペースとして利用できるそうです。
「佐藤又六家」は増田銀行(現北都銀行)設立発起人にもなった名家で、真人公園の開園時にも桜を植栽したりと、町の発展に大きな影響を与えています。
今や観光地として有名になった増田町ですが、その発端となる蔵公開の街歩きイベントに力を入れていたのも当家で、同じ町に暮らす者として感謝の言葉もありません。